「暴瀉病流行日記(ぼうしゃびょうりゅうこうにっき)」に載る。 黒と白の頭が2つある鳥で、熊野七社大権現の使いと言われている。 安政5(1858)年、コレラ流行時に加賀国白山に現れ、 「来年の8月・9月のころ、世の中の人が9割方死ぬ難が起こる。 我らの姿を朝夕に仰ぎ、信心するものは必ずその難を逃れることが できるであろう。」と告げたという。 名前は所蔵している山梨県立博物館で付けられたもの。